シニアIターン者の体験流

・仕掛け


山田先生から頂いたご質問をきっかけにした、シニアIターン者への「仕掛け」づくりを共創する場

080801

・一応のとりまとめ、ご回答

080724-2

教えて頂いた他の2つの活動例と、私たちの活動の基本

080724-1

・とりとめもない、いろんなエピソードや体験流の思い出し

080723

・ご質問

080801
 
【Q1】
よそ者の遠藤さんが佐久穂町に受け入れられ、議会や役場の人々とも親しく交流しているのは驚くばかりです。それが実現したのはもちろん遠藤さんの人間的魅力によるものでしょうが、佐久穂町の側にも「よそ者」を受け入れる心と「仕掛け」があったのだと思います。
遠藤さんが佐久穂町に入り込んでいく過程で、佐久穂町から提供された「仕掛け」にはどのようなものがありましたか。どのようなプロセスで町の人々と親しくなりましたか。
単に町の人々とではなく、町議会議長や役場の人々と親しくなっていけたのは、どんなことからでしょうか。
 
【A1】
・佐久穂町の行政自体に、「よそ者」を受け入れる「仕掛け」が特にあるわけではありません。
佐久穂町は、旧「佐久町」と旧「八千穂村」が合併してできたばかりの町です。
私の住んでいる旧「佐久町」は、どちらかと言うと、保守的な感じがするところです。
 
・ところが、この南佐久の地には、「農村医学のメッカ」(地域医療のメッカ)と呼ばれる「佐久総合病院」があり、この地には住民主体のスピリッツが、長年にわたっって脈々と流れているように思われます。
下の写真は、千曲川の上流から左岸に見える佐久総合病院の遠景です。
 
 
 
 
 
 
・佐久総合病院の活動は、「プロジェクトX」でもとりあげられていますが、戦後、若月俊一先生が、「農民とともに」を合言葉に地域に入り込んだ医療活動を展開し、1959年には、旧「八千穂村」において、医学史に残る「全村健康管理」、すなわち「住民主体の健康増進活動」がおこなわれた地域でもあります。
そして、今でも、住民主体の医療活動が、様々な文化活動などと共に総合的に展開されています。
・下の写真は、毎年5月に開催されている「病院祭」の写真です。
この「病院祭」では、まるで学園祭のように、壁一面にやさしく説明されたポスターが貼られ、日頃診察して頂いている先生や看護師さんなどが、最先端の医療を始め、活動の歴史、文化活動などを説明されたり、住民の方々が、関連した各種の団体などの活動などを説明されており、実演や歌なども交えたまさに「お祭り」騒ぎといった感じで、「地域医療」のエッセンスを分かち合っています。
 
 
 
 
 
 
・下の写真が、佐久総合病院から発行されている「農民とともに」の会報です。
中味はとても深いものがやさしく書かれ、最近の動向、働いている方々のお話などが、親しみやすい文章・写真で説明されています。

 
 
 
 
 
 
・この地では、佐久総合病院の活動だけではなく、町としても、毎年秋に「福祉と健康のつどい」が、多くの住民が企画・参加して開かれ、各地区毎の活動の研究報告や演劇なども行われます。
 
 
 
 
 
 
・町は、合併したときに、下の写真にも表されてように、
水と緑のうるおい、人の営みが奏でる未来のふるさと
という標語をきめました。
 
 
 
 
 
 
 
・町の新しい住民になると、下の写真にあるように、無線の通知装置が無料で配布されます。
町の公報紙だけではなくて、この無線の通知装置によって、明日はどんなイベントがあるかが、よそ者にも、すぐに分かります。
 
 
 
 
 
 
・また、保育園などの便りでも、イベントがわかります。
よそ者としては、可能な限り、いろんなイベントに参加し、まずは、「習うより慣れろ」の感じで、3年間が過ぎていきました。
そのうちに、「町の年報」にも載るようなこともでてきました。
下の写真は、「町の年報」の「佐久穂の教育:学びと文化が織りなす心豊かな人づくりのまち」のページです。
 

下の写真は、そのページの一部を拡大したもので、保育園児たちと、町の木を使って、巣箱づくりをしているところです。ちなみに、この巣箱は、この保育園児によって、高原の自然園の中などに設置されています。
 
 
 
 
 
 
・また、子供たち、孫たちの活動には積極的に参加し、子育て・母乳育児の方々、有機農家の方々、地産地消の町のえきの方々、そして佐久総合病院の方々、などと次々とヒューマン・ネットワークが拡がってきました。
下の写真は、子育て・母乳育児の方々が開いているヨガ教室の写真です。壁一面に貼られている年度の活動の中には、私たちの写真も貼られるようになってきました。 
 
 
 
 
 
 
・そうしているうちに、町の行政とは一線を画すかたちで運用されている「佐久高原ケーブルビジョン(SCV)」の方とも親しくなっていきました。
下の写真は、SCVがテレビの1チャンネルで放送している「今月の放送予定」の画面写真です。

 

 
 
 
例えば、保育園や小学校の行事が放映されると、関係している父兄の皆さんは、下の写真のように放映番組をビデオにとります。
ところが、せっかくビデオにとろうと思っていても、放映される予定を忘れてしまったりして困ることがあります。
そうすると、ケータイで、放映予定やイベント予定がわかるといいなー、テレビだけではなくて、インターネットでも見られるといいなー、などと次々と要望がでてきました。
また、どのようにしていけばよいのか、少しずつトライアルをしながら進めていきたいなー、など進め方の方法論・戦略自体もお話していくようになってきました。
 
 
 
 
 
 
町の行政の方々とのつながりのきっかけとなったのは、実は、2年ほど前に、JAの企画で、町内の皆さんで「ベトナム旅行」にいくことになったことです。
私たち夫婦も、この旅行団に参加し、ハノイとハロン湾などのツアーを楽しみました。
参加された皆さんの大半は、農家の方々で、米や野菜の栽培に加えて、花の栽培、きのこの栽培などもされているベテラン揃いでした。
私たちは、町では見かけないよそ者ということに加えて、農業の素人ということで、行く先々で、「お前は何をやっているんかねー?」、「ベトナムの農業はこれこれこれこれだ...」などと、参加者との交流に加えて、いろいろな気づきを私たち夫婦に教えてくれました。
下の写真は、この旅行団で、ハロン湾のある島で撮った参加者全員の写真です。
 
 
 
 
 
 
下の写真は、ホーチミン廟の前でとった、旧「佐久町」の参加者の写真です。
この中に、町の議員さんである小林さんがいました。
カーネーション農家の方で、とても積極的で、いろんなお話の中に人生体験の豊かさを感じさせる方です。
旅行中、とても親しくなり、帰ってきてからも、なんどもお話をする間柄になっていきました。
 
 
 
 
 
 
そうこうするうちに、 関根さんの紹介で、今年の1月15日に、山田先生が司会をされるシンポジウムに出席する機会を頂きました。
そこで、副代表をしている家内が、「はっぱビジネス」の話もあるので、小林さんにも連絡したらどうか、ということで、家内が電話をしましたところ、すぐに自宅に飛んでこられました。
そこで、これまでの活動の概要をプロジェクターで説明しているうちに、小林さんから、これは町長にはなした方がいいのではないか、ということになりました。
次の日に、小林さんが議会の後で、町長に話したところ、なんでそんな経歴の人(私たちの経歴のこと)を知っているのか、これはいい機会であるので自分も参加したいが当日は所用でいけないのでと、話し合った結果、議会議長と小林議員と役場の関係しそうな部署の若手の2人(実は、年寄りではなく、若手を出そうということが話し合われたとのことです)が出張参加することになったわけです。
 
----
このように、当方の活動は、お送り頂いた他の2件の例のように、大掛かりな立派なものではなく、
シニアIターン者が、
(東京の企業のビジネス戦略支援・イノベーション活動支援などのネットワークビジネスをしている合間合間に、その知識・方法論なども生かしながら)、
既に地域で活動している若い方々の活動の悩み・問題の整理、その解決法・新たな展開法の共創、すでに芽ばえている活動の深化・発展をご支援させて頂いているものです。
 
あくまでも、引っ張っていくものではなく、お互いに「ちいさな気づき」を分かち合いながら成長して行ければいいな、という感じの活動です。
 
(背景には、シニアとしてスローなユビキタスライフを満喫しながら、社会構成主義的な考え方、活動中心デザイン的な方法論などの実践をしている感じです。)
 
こちらに移ってのこの4年間は、そのような諸活動の「体験流」の共有・共創のなかにこそ、住んでいる人が主役になれるようにしていく最先端のIT技術、Googleなどの技術を生かす場がいっぱいあった、というシニアの発見の連続でした。
 
IT関連のシニアは、地域での既存の活動を文化的視点・日常生活者の視点からよ~く観察しながら、地域の活動の中に溶け込みながら、その活動のイノベーションの方法論を一緒に模索しながら、お互いの「体験流」の共有・共創に技術を使って支援しがら、その技術をこのように使ってよかったのか、別の使い方の方がよかったのではないだろうか?などと悩みながら、お互いの成長に役立てるような新たな方法論や技術を模索・提案していくことが大切である、というような感じの毎日です。
 
 
【Q2】
もし佐久穂町に後輩が移住したとしたら、遠藤さんはどんな「仕掛け」でサービスするつもりですか。
 
【A2】
まさに、今回山田先生とやりとりさせて頂いている方法をひとつの仕掛けとして、私たちの「体験流」(以下の例に示すような方法論・仕掛け)を分かち合っていけるようにサービスをしていければいいのかなー?と思っております。
 
---現行の私たちの「体験流の例----
 
現在将来のことも考え13ドメインを所有し、その内の主に、msakunet.org、msakunet.biz、msakunet.info、sakuho.org、などのドメインを使って、若い方々との情報共有・アイデア創出などを進めています。
 
とてもゆっくりとした歩みですが、いわゆる「社会構築的」に、「M-SAKUネットワークモデル」;

  :Multidisciplinary, Multimedia,..... Social Construction, Strategy, Sougou,.....Activity design, Accessibility,.....Knowledge, Knowledge Emergence, Knowledge Enabling,.....Ubiquitous, Universal,.....

による活動を進めていければいいなー、と思っております。

現在進行中の様子の項目例を、
 
 
に示します。
 
---------------------------------------------
080724-2
 
他の2つの活動例の資料、ありがとうございます。
 参考になり、助かります。
 
 当方の活動は、このように大掛かりな立派なものではなく、
シニアIターン者が、
(東京の企業のビジネス戦略支援・イノベーション活動支援などのネットワークビジネスをしている合間合間に、その知識・方法論なども生かしながら)、
既に地域で活動している若い方々の活動の悩み・問題の整理、その解決法・新たな展開法の共創、すでに芽ばえている活動の深化・発展をご支援させて頂いているものです。
 
あくまでも、引っ張っていくものではなく、お互いに「ちいさな気づき」を分かち合いながら成長して行ければいいな、という感じの活動です。
 
(背景には、シニアとしてスローなユビキタスライフを満喫しながら、社会構成主義的な考え方、活動中心デザイン的な方法論などの実践をしている感じです。)
 
こちらに移ってのこの4年間は、そのような諸活動の「体験流」の共有・共創のなかにこそ、住んでいる人が主役になれるようにしていく最先端のIT技術、Googleなどの技術を生かす場がいっぱいあった、というシニアの発見の連続でした。
 
IT関連のシニアは、地域での既存の活動を文化的視点・日常生活者の視点からよ~く観察しながら、地域の活動の中に溶け込みながら、その活動のイノベーションの方法論を一緒に模索しながら、お互いの「体験流」の共有・共創に技術を使って支援しがら、その技術をこのように使ってよかったのか、別の使い方の方がよかったのではないだろうか?などと悩みながら、お互いの成長に役立てるような新たな方法論や技術を模索・提案していくことが大切である、というような感じの毎日です。
 
このような底流を流れる「活動流」の具体例をレポートとしてまとめて、7月末までにお送りする予定ですので、よろしくお願い致します。
---------------------------------------------
 
080724-1
 
(自分を振り返る機会を与えて頂いたことにまず感謝・感謝です)
 
 もう忘れかけていた、いろんなエピソードや「体験流」が頭の中を駆け巡り始め、ちょっとまとめるのに時間がかかりそうです。
 それと、山田さんや関根さんに1月15日あのような機会を頂いたお陰で、自分自身の中にも、また変化が起こり始め、また新たなトライアンドトライもいろいろ始めることができるようにもなってきました。
このお話も合わせてしなければならないように思います。
 
個人事業や中小企業を支援するGoogle Appsの力をかりながら
・佐久高原ケーブルビジョンの35歳の方との協働によるケータイやネットへの融合展開策や彼自身の将来ライフスタイルなどなどの支援
 
・「佐久穂元でるネット」(元でるとは元気のでるの意味です)の試み、
 
・佐久総合病院の再構築を住民・患者の立場からご支援する「メディカル佐久情報ネットワーク」の試み、
 
・長野県の別の地域へのUターン若者の紙の地域情報誌からの地域広告の将来展開の支援の試み、
 
・地域に新しい博物館をつくりたいという25歳の博物館学芸員のネットを介した支援の試み(ネットの先はグアテマラですが)
 
などなど。
 
(実は、現在将来のことも考え13ドメインを所有し、その内の主に、msakunet.org、msakunet.biz、msakunet.info、sakuho.org、などのドメインを使って、若い方々との情報共有・アイデア創出などを進めています。
 
とてもゆっくりとした歩みですが、いわゆる「社会構築的」に、「M-SAKUネットワークモデル」;

  :Multidisciplinary, Multimedia,..... Social Construction, Strategy, Sougou,.....Activity design, Accessibility,.....Knowledge, Knowledge Emergence, Knowledge Enabling,.....Ubiquitous, Universal,.....

による活動を進めています。

頂いたご質問の中の、

>遠藤さんが佐久穂町に入り込んでいく過程で、佐久穂町から提供>された「仕掛け」にはどのようなものがありましたか。どのようなプロセ>スで町の人々と親しくなりましたか。

につきましては、実は、町の方から提供された「仕掛け」は、ありませんでした、というのが正直なところです。

でも、私はラッキーでした。本当にいい方々にめぐり合えたのです。

個人的なつながりの中から発展してきたというのが、実情です。

この「どのようなプロセス」につきましても、いろんなエピソードや「体験流」が頭の中に次々と浮かんできています。

ちょっと整理するのに時間を頂けると幸いです。

>もし佐久穂町に後輩が移住したとしたら、遠藤さんはどんな「仕掛>け」でサービスするつもりですか。

これについても、こんなことをしたいということが次々と頭に浮かんできています。

これもちょっと整理するのに時間を頂けると幸いです。

このような、自分を振り返る機会を与えて頂き、深く感謝しております。


--------------------------------------------
080723

今、例のアクセシビリティ研究会で書籍を書いています。「退職したら地域に戻ろう」をテーマにしたもので、その中の最終章は「地域に戻れた先輩が、これから地域に戻る後輩を受けいれること」について僕が書くことになっています。

それに関連する質問があります。恐縮ですが、お答えいただければ幸いです。

よそ者の遠藤さんが佐久穂町に受け入れられ、議会や役場の人々とも親しく交流しているのは驚くばかりです。それが実現したのはもちろん遠藤さんの人間的魅力によるものでしょうが、佐久穂町の側にも「よそ者」を受け入れる心と「仕掛け」があったのだと思います。

遠藤さんが佐久穂町に入り込んでいく過程で、佐久穂町から提供された「仕掛け」にはどのようなものがありましたか。どのようなプロセスで町の人々と親しくなりましたか。

単に町の人々とではなく、町議会議長や役場の人々と親しくなっていけたのは、どんなことからでしょうか。

もし佐久穂町に後輩が移住したとしたら、遠藤さんはどんな「仕掛け」でサービスするつもりですか。