【非公開学習用】
曼荼羅: 5.  マンダラ・ステージを心のなかに持とう  【⇒目次へ戻る

 

5. マンダラ・ステージを心のなかに持とう -- あとがきに代えて


 壮大な野外ステージのドラマは終わった。

 幕は降りたが、期待したハッピー・エンドではなかった。

 いや、「人間の花、いま開く」のドラマにエンド・マークはないのだ。終りははじまりにつながっている。幕が降りたあと、胎蔵マンダラの舞台とドラマ・シナリオの金剛界マンダラの二つともを、こんどはわたしの胸の内に取り込んで、これからこそわたし自身が主役になって演じはじめることになる。

 客席から一観客として序幕を見た。

 ついで胎蔵マンダラの舞台に仕組まれてあった十の階段をのぼることで鍛練を積み、それによってステージで仏たちの脇役を演じるところまで進んだ。

 そして、これからはわたしが主役になって人生の舞台を歩んでいくことになる。

 大丈夫だろうか。

 自分が分かりにくくなったら、胎蔵の十の階段で出会った仏たちを思い出してほしいし、判断に迷うことがあれば、ステージで演じられた七幕のドラマのいろいろな場面を思い返して、そこから判断のヒントをつかんで、誤りのない決断をしてほしい。

 このマンダラ劇場には、実生活上のいろいろな問題を解決する鍵がいくつもいくつも含まれている。

<絵> 無財(むざい)の七施(しちせ) 顔施(がんせ) おだやかな顔 言施(ごんせ) 和やかな言葉 心施(しんせ) やさしい心 身施(しんせ) からだを使って手だすけする 眼施(げんせ) あたたかいまなざし 座施(ざせ) 席をゆずる 宿施(しゅくせ) 訪れた人を快く迎える


 たとえば供養する心は、ものもお金もなくても相手を喜ばせ、自分も快くなれる。

 入我我入の教えは事業に取り組むときの実践的な示唆を与えてくれている。

 全体との調和を回復することで、自分らしさが発揮できるというあたりは組織のなかに生きる者の姿勢を暗示してくれている。

 宇宙的な規模の調和とか、時間の悠久さをマンダラのなかに見ていると、自分の小さなこだわりを相手に押しつけようとはしなくなるだろう。

 特別に超能力は得られなくてもいい。

 逆境のとき、うまく調御された煩悩は意外な力となって、善い方向へ流れを転じる活力になってくれるだろう。

 なによりいいのは、このマンダラ・ドラマは、どんなに落ち込んだときでも、再起の足掛かりをどこかに用意してくれていることだ。

<絵> どんなに落ち込んでもマンダラは再起の縄ばしご


 人生のいろいろな瞬間にマンダラ・ドラマを思いかえしてほしい。人生の充足度をはかる目安としても、このマンダラ舞台をいつも心のなかに築いていてもらえれば、もっとすばらしい。

<絵> 胎蔵マンダラ 金剛界マンダラ マンダラはわが心の鏡


 本橋を終えるにあたって、二つのことを付け加えさせていただきたい。

 一つは、いかに生きるかの視点だけに絞って、わたしなりの解釈を貫いたことである。密教マンダラは最高度に完成された宗教画だから、そこには無尽蔵な価値が秘められている。しかし尊い、有り難いと拝んでいるだけでは、マングラに向かう姿勢としては物足りない。目隠しをして対象を撫で、一部をつかんだだけなのに、それで全体が分かったつもりにはなるまいと、自分に戒めてきたのだが、やはり、その弊害に落ち込んでいるかもしれない。強引な読み方をしたり、意味を取りちがえている箇所があるかもしれない。あくまで、本書は「わたしはマンダラをこう読んだ」という試みなのである。

 もう一つは、密教世界は言葉や合理的な分析では十分に伝えられないので、マンダラという表現方法が取られてきたにもかかわらず、そのマンダラを言葉で分析しようとしてきたことである。

 これは根本的に矛盾しているし、わたし自身、うまく伝えられないはがゆさを何度も味わうことになった。

 この矛盾を超えるためには、あなた自身に「マンダラ体験」をしていただきたいと願うほかない。

 マンダラ体験とは、第一に密教マンダラに無心で向き合うことであり、第二にはそこに密教瞑想法を取り入れることである。マングラの前にゆったりとした気分で坐り、ゆっくりと息を吐ききり、ついで胸一杯に吸う。これを一として十まで数えて精神集中する数息観だけでもいい。その上で機会があれば密教独自の瞑想法を体験してほしい。

 蓮華台にのった月輪(がちりん)に阿字を描き込んだ阿字観本尊軸を前にして、月輪を意識のなかで自分の胸に迎え入れ、宇宙大にまで拡大し、白分が阿字そのものとなる修練である。

<絵> 阿字観尊


 ほんとうのマンダラ理解は、こうした密教瞑想と不可分の関係にある。

 瞑想についての手ごろな実習案内書としては平井富雄著「坐禅健康法」(ごま書房)、山崎泰広著「密教瞑想法」(永田文昌堂)をあげておきたい。

 それから、蛇足のようになるが、本書のできたいきさつにふれておきたい。

 密教マンダラを生きかたの指針とできるように図解で分かりやすくという依頼を受けて、わたしはとまどった。マンダラが未消化であっただけでなく、マンダラを生きかたとからめて見る習慣がなかった。しかし、言われてみるとマンダラが宗教画であるかぎり、そこに生きる指針が含まれていないはずがない。

 マンダラ成立の歴史とか仏の配置については精緻な研究があるが、生身の人間にマンダラがどうかかわってくるのかについて論じられたのを知らない。

 それだけに苦しんだが、それは張りのある苦しみであり、その過程でマンダラは仏たちの舞台(胎蔵)とドラマ(金剛界)の組み合わせだという構図が閃いた。思いがけないことで、むしろマンダラの側からヒントを与えられたような感じだった。

 あとは、比較的すらすらと解読ができた。

 書き終えたいまも、もっと探究を深めていきたいという意欲が十二分に残っている。

 なお、言葉でマングラを解く難しさを殿村進氏がたくみな絵でカバーしてくださった。

厚く感謝中し上げたい。


平成元年九月二十三日 

寺社 峻


*主な参考図書

 栂尾祥雲著「曼荼羅の研究」(高野山大学出版部)

 松長有慶編「曼荼羅」(大阪書籍)

 石田尚豊著「曼荼羅のみかた」(岩波書店)

 真鍋悛照著「曼荼羅の世界」(朱鷺書房)

 頼富本宏著「マンダラの仏たち」(東京美術)

 佐和隆研著「仏像図典」(吉川弘文館)

 錦織亮介著「天部の仏像事典」(東京美術)


絵/殿村 進


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寺林 峻(てらばやし しゅん)

昭和14年,兵庫県生まれ。慶応義塾大学文学部卒業。第57回オール読物新入賞受賞。著書に『幻の寺』(春秋社)『播州歌舞伎の主役たち』(日本放送出版協会)『神々のさすらい』(角川書店)『たたら師鎮魂』(三省堂)『立山の平蔵三代』(東京新聞出版局)『空海・高野開山』(講談社)『最澄か空海か』(経済界)『空海の名言集人はどう生きたらいいのか』(フォー・ユー)などがある。

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絵でわかるマンダラの読み方

1989年10月25日 初版発行

著者 寺林 峻

発行者 中村祥一郎

発行所 株式会社日本実業出版社

© S.Terabayashに1989. Printed in JAPAN

ISBN4-534-01517-8

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