絵でわかるマンダラの読み方 – 心の宇宙を歩く -- 【原作: 寺林 峻さん】をリンク拡張させて頂いたものです。
1. まず言葉で理解する -- マンダラヘの助走
1.1 なぜか気になる密教とマンダラ
1.1.1 どこかが違う密教の仏たち
奈良、京都とか鎌倉の古寺を訪ねて静かなお堂の中で仏像と向かい合うと心が和んでくる。
それが広隆寺(こうりゅうじ)の弥勒菩薩(みろくぼさつ)だとすれば、澄みきった心をしのばせる穏やかな表情のなかでも、とくに口元に浮かんでいるかすかな微笑に魅せられる。新薬師寺の薬師如来(やくしにょらい)像なら半眼に開いた眼が真実のありようをじっと見すえているようで、人間の胸のなかにわだかまっている汚れものを溶かしてくれそうに感じる。
こういった仏像の前に立つと、人間の最も完成された状態が仏(ほとけ)なのだということがよく分かってくる。
生きていると、どうしても欲望に突き動かされ、自分を大事にしすぎるために他人にわけもなく腹を立て、そして筋の通らないことを愚かにも繰り返して、そのために次つぎと苦しみをつくりだし、心はいつも動揺しており、精神も不安定で、せっかくの自分の良さを発揮できないでいることが多い。
それに対して、仏たちは苦しみを生みだす煩悩(ぼんのう)を修行によって抑えているために、こうまで穏やかな顔つきになることができる。
しかもわれ一人、安らぎを独占しているのではない。
どうしても煩悩のままに動いてしまう人間に向かって、誰でも、このような安らぎの境地にたどりつけるのだということを示してくれている。人がめざすべき究極の姿を目に見せてくれているのだ。
仏教というのは、そのように自分を完成するための方法を教えてくれているのである。
ところが同じ仏像でも恐ろしいばかりに怪異なのがある。
たとえば京都の東寺(とうじ)を訪ねて講堂に入ってみると、思わずあとずさりしてしまうだろう。それほど圧倒されるのは、大きな仏像が数多く並んでいるからでなく、それぞれの顔や姿が頭の中にある仏のイメージを打ちこわしてくるからである。
青味がかった顔で眼をぎょろりと開いてにらみつけ、口は怒りにゆがんでいる。その右手には剣、左手には縛りつけるための綱を持ち、それでも足りないとばかりに赤黒く燃えさかる炎を背負っているのがある。それが不動明王(ふどうみょうおう)なら、金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王というのは足を蹴り上げた動きのある姿で、手に金剛鈴(こんごうれい)を持ち、その顔をよく見ると眼が五つもある。
<写真> 不動明王像(東寺蔵)
<写真> 金剛夜叉明王像(東寺蔵)
まだある。
四羽のガチョウに乗った梵天(ぼんてん)は三つの顔と四本の腕を持っているし、象に腰掛けた帝釈天(たいしゃくてん)は、仏具をまるで武器のように持って身構えている。
これは一体、どうしたことだろうか。
穏やかな微笑をたたえて人間の究極の姿を示してくれている仏像とは、かけ離れすぎている。
<写真> (弥勒)菩薩半跏思惟像(広隆寺蔵)
<写真> 薬師如来坐像(奈良国立博物館蔵)
これら動的で激しく、異国的で、ずさっと胸に問いを投げつけてくるような仏像、それが密教の仏たちである。
微笑の仏たちが人間の完成された姿を示して、時間をかけてたゆまず努力して、この境地にたどりついて来なさいとしているのに対して、密教の仏たちは人をどきりとさせて、その衝撃で一気に今すぐ完成された人間(仏)にしようとしている。
仏教の教えにそって一歩一歩、自分を高めていくのがいいにしても、それでは限られた寿命のうちで自己完成が出来ないかもしれないし、場合によっては今すぐ救いを得ないことには、明日では遅すぎるという、せっぱつまった状態に身を置くことだってある。
そういった要望にそって登場したのが密教であり、密教の仏たちである。
不動明王は人間の煩悩を焼きつくそうと炎を燃やし、金剛夜叉は悪徳におぼれる者を呼びもどして真実に目覚めさせ、梵天と帝釈天は正しい考えと行ないをガードしてくれているのだが、人はなかなか善良な意志の通りには動いてくれない。そこで密教の仏たちは、それぞれの任務を果たすために、ますます怖い顔になっていく……。
ということは顔は異様で怖くても、人を一刻でも早く、よりよく生かしたい願いが熱く、そして純粋な、心はやさしい仏たちなのである。
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【顕教(けんぎょう)と密教】
仏像の違いから仏教にも二つの流れがあることが分かった。
人が今すぐに自己完成させるのを異形の仏が手助けしてくれるのが密教で、心を鍛える修行の果てに仏になる微笑仏の流れを顕教という。
「顕教」: ネパール、カピラ城の皇太子として生まれた釈迦は、いくら地位と金に恵まれても人間の苦しみから逃れられないと気づいて29歳で何もかも捨てて出家し、6年間の苦行の後の瞑想で真実に目覚めて仏陀(ぶつだ)(自己を完成した人)となった。宇宙の発する真実の声を聞きとめたという言い方もできる。
今から2500年ほど前のことである。
この仏陀の教えを仏教というのだが、わたしたちが「仏陀になるための教え」でもある。
仏陀、つまり釈迦が亡くなったあと、弟子たちが集まって、それぞれ釈迦から間いた真 実の教えを発表し合い、それを集めてお経を編集した。そのお経にそって修行を積んで人 間の苦しみの根源を知り、それを断って心の平安を得て自己を完成するのを顕教という。
釈迦という実在した人間の修行と言葉を通して自己完成の道(仏道)を進むのだから、 お経が公開されている通りに誰にでも明らかにされている露顕した教えなのである。
<顕教と密教の図>
<プロセスの図>
「密教」: 釈迦は宇宙の真実の声を聞いて仏陀になられたが、釈迦が聞きとめるかどうかにかかわらず、宇宙の真実の声は太古から現代に至るまで発し続けられている。それならわたしも自分で修行して真実の声を直接に聞こうとするのが密教である。顕教が、釈迦の言行録であるお経を頼りに真実をつかんで自己完成するのに対して、密教は真実に直参(じきさん)して自己完成をしようとする。
いってみれば、一人ひとりが釈迦と同じ体験をするのが密教である。
どうすることで、そうなれるかは顕教のように「露顕した教え」でないために言葉では伝えにくい。だから密教、つまり秘密仏教なのである。
といって、「秘密」の語に隠すとか秘密にするという意味はこもらない。「宇宙の真実に目覚めた状態は微妙で意味深く、言葉では伝えにくい」ということで秘密なのである。つまり密教は体験しないことには意味がないとする。徹底した体験本位なのである。
なにを体験するかといえば、修行を通して人間としてのからだと言葉と心の働きを、それぞれ仏の働きにまで高めることである。それによって、今すぐにでも、この生身のからだのまま仏陀の境地になれると教えている。
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1.1.2 南インドの鉄塔の中で興った
こうした密教の仏たちの多くは顔立ちも持ち物も異国的である。微笑仏の流れにある仏だちと比べても異端の姿である。
そこに密教発生のなぞが秘められている。
すこし煩雑になるがマンダラと深くかかわっていることなので、密教がいつ、どこで、どのようにして興ったかを大まかに見ておこう。
インドのカルカッタ空港から南へ向けて飛び立った飛行機が、あとすこしでマドラスに着くというころ、眼下にクリシュナ川を見下ろすことができる。中央部のデカン高原から流れ出した川は、うねうねと長い川筋を描いてベンガル湾に流れ込んでいる。
その川の中流あたりの岸辺に、大きな塔の跡が確認されている。
その塔の一部はカルカッタ博物館に保存されているが、インドでは大理石を白鉄と呼んだために、大理石づくりの巨大な半円塔は「南インドの鉄塔」としてよく知られている。数多くあった鉄塔のなかで、崩れ去っているにもかかわらず、これだけがどうして有名かといえば、この塔のなかで密教の根本経典が編まれたと伝えられているからである。
<写真> 大日如来坐像(観音寺蔵)
しばらく幻想の世界に遊んでほしい。
目に見えない自然の大きな力を人間に見たてて尊敬するのは日本でもアマテラスとかスサノオという神話の神でなじみ深いが、南インドの鉄塔に登場する主役は大日如来(だいにちにょらい)である。やはり自然の力の大きさを実感できるように人の姿をして現われるのだが、この大日は自然の力の大きさを象徴するような小ささではない。なんと宇宙全体が一つのからだになっているのだ。
この宇宙にある何もかもをひっくるめてからだとし、いのちをささえる水を血とし、大気を呼吸し、その頭脳は過去、現在、未来を含めて一切の成り行きを見極める能力を持ち、その心には一切が争わずに、それぞれに共存していける調和のルールを秘めている。
それは、まるで大きな太陽のような仏だから大日如来と呼ばれる。
この大日が鉄塔に来て、心の内にあるあらゆるいのちが共存できるルールを誰に問われることもなく、みずからうち明けた。けれども、それだけでは密教は生まれなかった。大日如来の声は深い山に入り込んだときにいろいろと聞こえて来る音と同じで、人間にはその意味が理解できない。
そこで、いろいろの悩みをかかえた人間の総代表として金剛薩た(「た」は捶がつちへん)(こんごうさった)か現われて、その塔にこもって大日如来の心の声を聞いた。この仏も架空の人だが、なんとかして救われたいという人間の願望のかたまりだから、ついに大日如来の声を人間の言葉として受けとめることに成功した。
<写真> 真言八祖像(龍猛)(東京国立博物館蔵)
それまで塔のなかは大日の発する宇宙のさざめきばかりが響き合っていたが、この時から金剛薩たによって聞き取られた言葉が響き合うようになった。
これによって宇宙の一切のいのちを調和的に共存させるルールが人間のものになったのだが、これだけでは、後の世にまで密教として体系化されたものが残ることにならなかった。
やがて一人の実在した学問僧が、その鉄塔にこもって塔内に響きわたっている言葉を聞いて整理し、書きとめた。
その僧は龍猛(りょうみょう)で、書きとめたお経は「大日経(だいにちきょう)」と「金剛頂経(こんごうちょうぎょう)」という密教の根本経典となっている。マンダラは、それを視覚で理解する「目で読む根本経典」である。あとで詳しく話すことになるが、マンダラは大日如来の頭脳の絵と心の絵の二枚から成っている。
言葉だと、どうしてもそれを伝える人の主観が入ってしまうが、絵だとずばり密教世界を直感できる。
だからマンダラを前にすると、まるでわたしが南インドの鉄塔のなかで大日如来と向き合っているような興奮を覚えてくるのだ。
1.1.3 ダイナミックにいのちの流れをつかむ
ここまで話してくると、密教がクリシュナ川のほとりにあった鉄塔のなかで興ったというのは、理解しやすくするための仮のたとえであったことが分かってくる。
密教の舞台はあくまで宇宙全体であり、大日如来の頭脳と心の働きは今を生きるわたしにもあなたにも届いて来なければならない。
そこで幻想から立ちもどって人間の時代の密教を語ろう。
密教をつかんだはじめての人間、龍猛は二、三世紀の人とされている。釈迦が亡くなって七、八百年が過ぎている。龍猛は生き仏のような人だったと伝えられているが、そういった個人の能力を超えた力が龍猛を密教に向かわせた。その力とは時代の要請だった。
釈迦が亡くなってからしばらくは、釈迦の活躍した北インドの、どちらかといえば都市中心に、釈迦の言動を忠実に守って悟りに達しようとする動きが主流だった。
やがて、そうした規律ばかりにとらわれて窮屈なだけの仏教よりも、大勢の人を救い、釈迦の精神を取り入れて誤りない暮らしを送るようにするのが、かえって仏教の本来ではないかという動きが高まり、それにそって信仰者の枠が広まり、地方にまで普及していった。
そうなると、どうしてもその時代の習慣や地方に根強く残っている民間信仰が仏教のなかに入り込んでくる。なかでもインドで仏教以前から圧倒的な信仰を受けていたヒンズー教の神や教えや儀式がどっと仏教のなかに入ってきた。
前に話した梵天や帝釈天なども、もともとはヒンズー教の神であったために、あのように異国的で、ちょっと異質な感じをともなっている。
インドというのは雨季と乾季がはっきり分かれており、その上、酷暑が続くために穀物を育てるには人間の力を超えた大きな力の加護がなくては出来ないので、いのちを育む力に神を感じて敬うことが多かった。
だから数多いヒンズー教の神はいのちのダイナミックさを讃えるということで其通している。
このヒンズー教の神々を仏教は早くから仏たちの守り神として取り入れていたが、密教は、いのちの賛歌であるヒンズー教を、もっと積極的に取り入れることで出来上がってきた教えである。
規律を大事にした上座部(じょうざぶ)仏教、大勢を教うことに重きをおいた大乗仏教についで誕生した密教は大乗仏教のワクのなかではあるが、一番新しい仏教と言える。
それも、よりよく自分を生かしたいとする願いに応える形でしだいに整備されて、西暦七世紀ごろ最も完全な形にまで練り上げられてきた。
日本に伝わってきた密教は、その時代のもので、誤解されやすい内容は切り捨てられ、人を堕落させるような危険もないために、それを正純密教という呼びかたをすることがある。
<絵> (密教伝来)
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【密教伝来と空海】
龍猛によって感じ取られた密教の正流は龍智(りゅうち)によって南インド全域に広げられ、その弟子金剛智(こううごうち)は経典とマンダラをたずさえて海路、唐に渡り密教の開放に努めた。その弟子不空(ふくう)も五百巻もの密教経典を漢訳して中国に密教全盛時代をつくりあげ、さらに善無畏(ぜんむい)、一行(いちぎょう)の二人を経て密教の法灯は長安の青龍寺にいた恵果(けいか)に伝えられた。
西暦八〇五年、恵果には千人もの弟子がいたが、老境に及んで密教の法流を日本から来ている三十二歳の留学生に伝えた。
真言八祖像(東京国立博物館蔵)左より恵果、一行、善無畏、不空
その留学生が空海だった。
龍猛から数えて空海までの八人を密教伝持(でんじ)の八祖という。
空海は奈良時代の来、いまの香川県善通寺市に生まれている。学者の叔父に連れられて都に上り、大学に学ぶが、政官界での出世主義の学問を嫌って中退し、仏道を歩み始めた。既成の仏教に飽きたらず、山野を道場に自己鍛練し、その過程で渡来人が持ち込んでいた密教の片鱗に触れ、これこそ人間のからだと心が調和した理想の教えだと直感して、遣唐使船に乗り込んで唐に渡ったのだった。
恵果から密教を伝授された空海はマンダラをはじめ密教関係の書物、仏具を日本へ持ち帰り、高野山に道場を開き、さらに東寺を拠点に強力な伝道活動を展開し、密教を日本化した上で定着させた。天長七年(八三〇)、五十七歳の空海は「秘密曼荼羅十住心論(ひみつまんだらじゅうじゅうしんろん)」を発表し、密教教団である真言宗を開き、生きた状態で自己を完成するという密教の教えを自ら実証して六十二歳で高野山に人定(にゅうじょう)。弘法大師として、宗派を超えた信仰をのちのちまで集めることになった。
<写真> 真言八祖像(東京国立博物館蔵)左・金剛智 右・龍智
<写真> 真言八祖像・空海(東京国立博物館蔵)
<写真> 真言八祖像(東京国立博物館蔵)左より恵果、一行、善無畏、不空
1.2 煩悩を生かした人づくり
こうして日本で広まった密教の教えの特徴はとこにあるのだろうか。
五つに絞って、そのポイントを紹介しておこう。
1.2.1 わたしが大日如来と一体になれる
真言宗の寺を訪ねると、寺によって本尊の仏がいろいろと違うのに気づくだろう。地蔵菩薩(じぞうぼさつ)だったり阿弥陀如来(あみだにょらい)だったり、あるいは薬師如来(やくしにょらい)だったりする。それだけでなく本堂には数多い仏像がさまざまに安置されてあって、これではばらばらすぎて統一がとれていないようだが、実はどの仏も根本仏である大日如来の広大な働きの一部を分担している。たとえば薬師如来は「心身の健康を守る」という役割を背負って信者と向かい合っているのだ。
<絵>
マンダラも、その通りである。
何百もの仏が描かれているが、それぞれに大日の分身として、うまくチーム・ワークがとれて、全体の調和を乱さないように位置している。
そして大事なことは、分身でありながら、決して大日の「部品」に終わるのでなく、大日如来そのものを象徴していることである。人間の顔は、その人の部分ではあるが、その人の全体的な性格を十分に表わしているのに似ている。外商に出るセールスマンは社内的には一社員だが外では会社全体を背負った言動をとるのにも似ている。
さらに、わかしという人間は大日如来の境地にはほど遠いにもかかわらず、大日と同じになれる素質を持っているというのが密教である。
大日如来というのは宇宙全体を人間のように見たてたもので、その宇宙は大地、水、火、風、虚空(こくう)と一つの精神作用の合わせて六つの要素から出来ていると説く。その六つの要素が、それがそっくり、一人の人間のなかにも宿っている。
足と腰は大地、腹部は水、胸は火、眉間は風、頭のてっぺんが空である。もちろん精神作用もある。
<絵> 空 風 火 水 地
だから一人の人間は宇宙の一部だが、同時に宇宙全休を象徴する存在でもある。
密教はこうした考えに立って、宗教的な活動を展開する。どんな活動かといえば、わたしという一人の人間が、もともと持っている素質を鍛練させて大日如来と一体化することである。
密教用語では人我我人(にゅうががにゅう)という。
大日如来が我のなかに入り、我が大日如来のなかに入る。
密教の修行法はさまざまだが、言いきってしまえば、すべては、この入我我入の境地を得るためである。
人間も宇宙と同じ六要素を持っているのだから、この入我我入は簡単に出来そうだが、それがなかなか出来ない。どうしてかといえば、わたしのなかで六つの要素がそれぞれに、ああしたい、こうしたいと勝手なことを主張して譲らなかったり、どれかがいつも怠けて本来の働きをしていなかったりするからである。
これでは大日如来、つまり秩序を持った宇宙のなかに入っていけない。
そのように、わたしの精神と肉体の秩序を乱したままでいるとからだの不調、心の不安定を味わいつづけるだけでなく、周囲にもとけ込めず、人間関係がぎくしやくしてくるというわけである。
だから密教ではいろいろの行を通して、わたしの心身に秩序をもたらし、その上でもっと大きな秩序である宇宙と一体化させる。つまり、わたしが周囲にとけ込み、周囲がわたしにとけ込んでくる。
こうした入我我入の状態が、最もわたしらしい自己完成した姿だというわけである。
1.2.2 このからだのまま今すぐに自己完成
即身成仏(そくしんじょうぶつ)という言葉がある。
文字通り解釈すれば、このからだのまま仏に或るということである。
もし意外な感じがするとしたら、成仏といえば普通は死を指すことになっているせいだろう。それが生きたからだのまま成仏するとあっては、どうもおさまりがよくない。
当然のとまどいである。
仏教一般は人間の煩悩を断つことで成仏(自己完成)できると説くのだが、人は生きているかぎり、少々の修行を積んでも次つぎに煩悩が起こって仏のように心が鎮まることがない。その点、肉体が滅べば、煩悩が騒ぐこともないので間違いなく仏になれる……。
というわけで成仏が死と同義語になってしまっているが、密教はそうではない。
「父母から受けたこの身を除いて、どこに仏を実現できようか」
空海は、こう言っている。
ひらたく言えば、死んでしまってから自己完成してもしかたないではないか、ということである。
<絵>空海 「父母から受けたこの身体を除いてどこに仏を実現できようか
生きている間に入我我入によって、最も自分らしさを実現してこそ人間として生まれてきた価値があるではないかと強調した言葉でもある。
そうなると、密教は仏教の一派であるのに煩悩を肯定するのか、という反論が返ってくるだろう。
結論から言えばイエスである。
このからだを肯定すれば、煩悩も認めるはかないとしぶしぶ肯定するのではない。
煩悩も含めて人間の一切が清浄なのである。
煩悩を、人間を狂わせる元凶とみて目のかたきににせず、それを積極的にいのちをはずませるバネにしていく。
<絵>「小欲にとどまらず大欲に至れ」
小欲にとどまらず大欲に至れ。
こう教えられる。
小欲は自分だけの幸福を追求することであり、大欲とは社会全体の幸福のために働くことである。
自分を高めて、社会のなかでふさわしい位置を占めるために煩悩をエネルギーとしていこうとする。
1.2.3 自分を転身させる三つの行ない
密教の修行は多彩である。
わずかに光のさしてくる狭い道場で虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を讃える真言を百万遍唱える求聞持法(ぐもんじほう)が静的なものなら、霊山に登拝し、滝に打たれ、霊場遍路する動的なものもある。炎の修行である護摩行法(ごまぎょうほう)もある。
煩悩を認めたといっても、それを野放しにするのでなく、うまく調御(ちょうぎょ)して大欲のエネルギーとしていく。
ときには荒々しく、ときには静かに、またあるときはまるで呪術(じゅうじゅつ)のように密教の行は展開されるのだが、それらの行をつらぬいているのは同じ精神である。
三業(さんごう)を三密(さんみつ)に転じる。
このことのための行である。
人間の行ないは次の三つにまとめられる。
からだを動かす(身)
言葉を発する(口)
頭でいろいろのことを考える(意)
この三つを放っておくと、ついつい自分の欲望を満たすためにだけからだを動かし、よくないとは思いながら嘘をつき、自分に都合のよくない人を憎んだりしてしまう。
そういう状態の行動は身業(しんごう)であり、口業(くごう)であり、意業(いごう)だとする。三業である。
つまり、からだの機能を自分勝手なことばかりに奉仕させている。
こうした自己本位の行動を、仏の行動に転じていく。
からだでは誠意と責任をもって行動し、口では愛情のこもった真実を語る。また意識では偏らない考えと相手への思いやりの感情を持つ。
この場合は身密(しんみつ)、口密(くみつ)、意密(いみつ)の三密である。
三業を三密に転じるとは、このことである。こう転じられれば入我我入も可能だし、即身成仏への条件も整う。
<絵>三業(さんごう)から三密(さんみつ)へ
(意業)自分の気に入らない人を憎む
「感想する」
(意密)偏りのない考えと、相手への思いやり
(口業)よくないと思いながら嘘をつく
「真言を唱える」
(口密)愛情のこもった真実を語る
(身業)己の欲望のために動く
「印を結ぶ」
(身密)責任と誠意をもって行動する
このために密教行者は道場で仏の行動をシンボライズさせる。
仏のからだの動きを手の指をさまざまに組み変えることで表現(印(いん)を結ぶ)し、口では仏の徳を古代インド語のまま唱え(真言(しんごん)を唱える)、そして意識では仏の姿を思い描く(仏を観想(かんそう)する) のである。
たとえば大日如来を前にして行するときは、両手で拳(こぶし)をつくり、左の拳の人指し指だけ立て、それを右の拳に包み込む智拳印(ちけんいん)をつくることで大日如来の行動とみなし、口では、
オン バザラ ダトバン
と、大日如来の真言を唱えて口業から口密に転じ、そして意識のうちで大日如来の姿を一心に思い描く。
これは道場のなかで集約的に行なうことだが、密教は行者のためのものでなくて開かれたたものだから、ごく普通の日常生活のなかでも、この三業から三密への転換ができるのが最終の目的である。
<絵>大日如来 入我我入(にゅうががにゅう)
1.2.4 宇宙の力をこの身に受けとめる
密教といえば、どうしても超能力とか霊力とか変身とか、普通でない能力が発揮できるように受け取られがちである。
人間の能力には開発されないままの部分も残されているので、それを鍛錬によって引き出すことも可能だろうし、密教の修行には、そうした鍛練に通じるところもあるので超越した能力が身につくこともあるだろうが、それは密教の本来ではない。
壇上(だんじょう)の炉(ろ)で細かな手順にそって炎を立てて穀物を供養しながら祈祷する護摩修法や本尊仏と一体化して祈る加持祈祷などにしても、それは特殊な能力を発揮するためというよりは、そうすることで宇宙的な調和のリズムが行者を通して信者に伝えられ心身のゆがんだ部分をもとの健康な状態に戻す力が与えられる。とくに現代のように科学的な合理性を優先させ、その上で経済効果本位の生活をしていると、とかく心身の柔軟性を失いやすい。
バランスを崩しやすい形で時代が動いている。心の調和が崩れると行き詰まり感とか虚脱感に陥り、それがからだの健康を損なうことにつながりやすい。
いまのように経済効果とか打算が先行している社会には適合しなくても、それはその人が劣っているということにはならないのだが、結果として周囲に調和できないことで、いろいろなマイナスを引きおこす要因となってしまう。そんな時、合理を超えた密教的な衝撃を体験することで、一気に心身のバランスを回復することができる。
宇宙の調和力がすぐれた行者を通して信者の上に加えられる。
空海は、その加持(かじ)をこうたとえている。
「仏の太陽が人間の心の池に姿を映すのを加(か)といい、人間が心の池に映った太陽を太切に保っていくのを持(じ)という」
ここでは、人がただ受け身になって行者の力にすがるだけでは本当の効果が得られないことも述べられている。
密教修行の主役は一人ひとりなのである。
<絵>加 持
1.2.5 身のまわりの一切が輝いてくる
ここまでくると密教のめざす方向がはっきりしたはずである。あくまで現実を充実させて生きようということである。
望ましい社会は昔から極楽浄土として伝えられているが、それは西方のはるか彼方にあって、死んでからでも、生前の行ないのよかった人だけかたどり着けるような遠い遠い先
である。この世は汚れていて不信と疑いに満ちていても、死後には安らかな地に行けると思うことで、いくらかの救いは得られるかもしれないが、密教はそうした受け身の考えに
立たない。
現実がどんなに汚れていても、この世を往みよくしていこうとする。
住みにくいからといって、現実から逃げない。
現実のどこにも、もちろん汚れた部分にも大日如来の光がとどいており、大日と同じ性質が秘められているのだから、いい状態に転じていけないはずはないと人智をつくしていく。
そこに大日如来の加持力(かじりき)が加わって、密教でいう理想社会の密厳浄上(みつげんじょうど)が現実に誕生してくる。
<絵>苦海を浄土に
人は宇宙と調和して即身成仏し、社会もそうして密厳浄土となる。
自分が大日如来と一体になることで、ものの見方が深くなり、人の善意が素直に受けとめられ、木々の緑がつややかに光り、小鳥の声が仏の声に響いてくる。
まわりの一切と輝き合う関係ができてくる。
そうした状態になれるのを現世利益(げんぜりやく)という。祈りの効果がすぐにこの身の上に現われるのだ。
マングラも、実はそうした輝き合う関係を描いているのだが、ここでは密教を日本にもたらした空海が農業用の池を築き、橋を架け、道を関くといった事業を通して直接に社会参加していることにも注目しておきたい。
密教というのは、ただ心の坐りをしっかりさせるだけでなく、社会を改良する力を育てる。一人ひとりが社会で自分らしい働きをすることによって汚れた現実が浄土となっていくことを空海が身をもって示してくれている。
【⇒次の章へ続く】