オリジンにふれる、ドナルド A. ノーマン、体験流2007-07-30 体験流に関係する用語である、ユーザ・エクスペリエンス(UX)やエクスペリエンス・デザインの世界では、iPhoneが話題になっていることは、皆さんよくご存知だと思います。 日経エレクトロニクスの2007年7月30日号に、 「iPhone はどこがすごいのか」 という記事がでました。 この中で、ドナルド A. ノーマンがコメントをしています。 ご存知のように、ノーマンが1990年代になって大学(UCSD)から、アップルに移り、User Experience Architect と称した頃から、エクスペリエンスが時代のキーワードのひとつになってきたようだ、といわれています。 今回のコメント記事を読みながら、20年前のことが懐かしく思い出されました。 1988年のJulyと自らサインをして、これを、といって頂いたのが「Psychology of Everyday Things」。 (後にこの本は、Design of ....と改題されていますが、当時は、彼は、題名を略すとPOETとなるよ、といたずらっぽく笑っていましたが。) 1988年に出された、私にとっては、いわば「小さな気づきを大切に」を教えて頂いた、オリジンのひとつでもあります。 UI(User Interface)からUX(User Experience)へ、Emotional Design へ、などなど、その後の体験流のオリジンに、最近またふれることができて、なつかしい気持ちでいっぱいになった一日でした。 高地合宿、金メダルのオリジン、体験流の結晶2007-07-28 ![]() 今日の午後には、アイススケート場で、 The 6th Nobeyama Summer Festival on Ice 2007 が、開かれました。 安藤美姫ちゃんも、浅田真央ちゃん、高橋くん、などなど、トップのみんなが集まり、華麗な舞を披露してくれました。 普段は、テレビでしかみえない技の数々を、すぐ目の前で、シュー、キーと臨場感あふれる音をたてながら舞ってくれ、地元のみんなでフィギュアスケートのすばらしさを堪能することができました。 そして、すべてのプログラムが終わろうとしたときに、なんと、予定になかった荒川静香ちゃんが突然現れ、例の曲(それも歌つきの曲で:正式の大会では歌に合わせてすべることはできません)に合わせて、金の舞を披露してくれました。当然、イナバウアーのところではみんなが酔いしれ、しかもフィニッシュは、今までになかった、前後開脚で氷上にすべりこんでフィニッシュという、離れ業でした。 終わってからも、みんなが興奮さめやらずという、体験でした。 ご存知の方もおられるかもしれませんが、現在の日本のフィギュアスケート全盛は、ここ野辺山の高地合宿にあったといっても過言でないといわれています。 荒川静香ちゃんは、その合宿の1期生だったということもあり、今回特別に飛び入りをしたということです。 毎夏、この野辺山合宿の打ち上げが、この Nobeyama Summer Festival on Ice の催しとなっており、選手にとってもこれからのシーズンの新しいプログラムを初披露する体験の場であり、地元の人にとっての楽しみな体験の場になっています。 美姫ちゃんも、真央ちゃんも、数年前にみたときには、本当に子供のようでした。 みんな、ずいぶん成長して、すごいなーと感心すること、しきりです。 「ちゃん」と呼びたいこの気持ちがわかりますか? ここでの、体験流の結晶が、金メダルかもしれませんね。 本当に、楽しい一日でした。 情報通信の発達・歴史と今後の動向、再構築される体験流2007-07-26 湘南の海のみえる、ある高校で、 「情報通信の発達・歴史と今後の動向: -- 小さな気づきを大切に – 」 というお話をさせて頂くという、初めての体験をしてきました。 ----------------------------------------- 【講義の概要】 (1)ハンダゴテを持って、小さなパルスを創る。それがデジタル体験の始まりでした。 このパルスをいかに遠くまで速く伝送するか、そして、それらをどのようにネットワーク化していくか、そのことについて日夜熱中していました。 (2)そして、このようなデジタルネットワークを用いて、電話だけでなく、どのような情報をどのように送り、どのように表現したり処理したりして提供していくと、皆さんにとって望ましいのでしょうか? (3)ところで、情報やサービスを使うのはユーザとよばれる人間ですが、そもそも人間はどのように情報を処理したり認識したりしているのでしょうか? また、人々が協同して社会的でことをなしている諸活動とはどういうことなのでしょうか? (4)このような個々の研究者の小さな思いからはじまった、キーとなる小さな情報通信技術(ICT)の概要とその動向について出来るだけやさしくお話しし、いかに「小さな気づき」が大切であったかについて「分かち合い」ができれば、と思っております。 (5)そしてできれば、このような小さな思いが、どのようにして社会に影響を及ぼすようになってきたか、その具体的技術と事例などについて自分自身とその周辺で起こった40年にわたる体験をお話ししながら、お聞き頂いている生徒の皆さんとご一緒に、情報通信技術や電子社会について考えさせて頂ければ幸いです。 ---------------------------------------------- 若い高校生を相手に、自己の体験流を語る機会を与えて頂き、いろいろと考えさせられました。 体験流というのは、現在の自己の環境・視点から、常に再構築され続けるものである、ということも感じました。 信州木の家サポーター、生活者の体験流の大切さ2007-07-20 カラマツでできたエコな家での生活を楽しんでいます。 「信州木の家サポーター」にも登録されており、いろんな方が見学・ご相談に来られます。 「信州木の家サポーター」というのは、信州木材認証製品センターがご担当され、長野県林務部信州の木活用課が推進されています。 --------------- 皆様が建築したこだわりの県産材住宅の苦労や素晴らしさを、これから家を建てる皆様に飾ることなく伝えて頂き、楽しい雰囲気の見学会にしたいと思います。 なお、この事業は県産材(信州の木)の活用・普及を目的に行うため、長野県と共に実施してまいります。 --------------- と、謳われています。 これから家を建てられる方々とお話をさせて頂く体験の中から、生活者の体験流の大切さを再認識させられています。 木材というまさに材、それを製品化して総合的にデザインして家になり、その中に様々なサービスを提供していく。 これらの事柄については、提供者が工夫をこらしてPRし、ビジネスをされています。 でも、来られた方々が本当に知りたいのは、このような材、製品、デザイン、サービスではなく、その上で実際に生活している者の体験、モデルルームでの一時的イメージではなく長期にわたる春夏秋冬の体験、そしてその中での「小さな気づき」の流れ、すなわち体験流を知りたいのです。 それも、家の個別の該当箇所で、感情をこめた身振り手振りや話で、生活者と参加者が一体になりながら。 まさに、 材、コモデティ-->製品、商品-->サービス-->エクスペリエンス に加えて、 -->体験流 が大切になってきていることを実感しています。 雑誌型ブログ、体験流2007-07-10 体験流について、いろいろと考えているうちに、忘れていた肝心のことを思い出しました。 5月30日(水)に東京ビックサイトで、「Business Blog & SNS World 2007」が開かれていました。 そこで、実は本ブログサイトの提供元であるCATWALKのブースの謳い文句に惹かれてしまいました。 「雑誌型ブログ」。 そこで、Sさんの熱い語りに惹きこまれてしまいました。 久しぶりに、わくわくするようなひと時を過ごさせて頂きました。 ありがとうございました。 そのことが、きっかけとなって、そこが運営しているブログにも、ちょっと参加してみようかな、となった訳です。 今、思えば、「雑誌型ブログ」も、様々な「体験流」であるという視点で、もういちど再構築、再概念化などを進めると、面白い展開につながるような気がしてきました。 「オリジンにふれる、ウィノグラード、Google」の項での「オリジンにふれる体験流」につながっていくような気がしてきました。 今後、しばらく、その視点から、少しづつ考えていければ、うれしいです。 さつきの花、標高800m、体験流2007-07-10 ![]() フキの濃い緑の色とのコントラストがとてもきれいに感じます。 「普通」に考えると、季節的には、ちょっと遅い感じがしますね。 でも、ここは標高800m。 ときどき東京にいくと、季節感がちょっと違うなと感じることがあります。 このさつきは、元々は、私が三浦半島で挿し木で育てていたものを、こちらに持ってきたものです。 当初は、なかなか標高800mには、馴染めなかったようでしたが、やっとこちらの環境にも慣れてくれたようです。 自分の体験流を、環境に少しづつ順応させてくれたのかもしれません。 技術や情報にも、標高や環境への体験流の順応、などの視点が必要かもしれませんね。 ところで、「普通」って何? かぼちゃ、創発、体験流2007-07-10 ![]() でも、これって私が植えたのではありません。 実は、食べた後に中の種やへたの部分を、庭のゴミ置きの場所に捨てておいていたものです。 それが、あったかくなり、雨がふり、お日様にあたって、自然に生えてきたのです。 苗を買ってきて植えたものより、元気があります。 これから、昨年同様に、土手かぼちゃになっていくのが楽しみです。 まさに、自然の環境の中から創発されてきたのです。 彼(彼女)の体験流が、自然に私たちに、恵みをもたらしてくれるのです。 おいしいですよ! オリジンにふれる、ウィノグラード、Google、体験流2007-07-09 先週、久しぶりに訪れた東京駅のエキナカの本屋さんで、「NHKスペシャル グーグル革命の衝撃」という本を購入しました。 例によって、グーグルに関する様々な事柄が、「検索」がもたらすもの、天才集団の牙城、広告革命、既存のメディアを揺さぶるグーグル、誰が検索順位を決めるのか、グーグルにすべてを委ねるのか、膨張する巨大IT企業の行方、人類のライフスタイルとグーグル、「退化」する私たちの未来、などの言葉でお話がされていました。 ほとんどの内容は、皆さんがすでにご存知の内容でした。 でも28ページの1行に私の目は釘付けになりました。 ご存知のように、Gooogleは、1998年に、スタンフォード大学の二人の学生、サーゲイ・ブリンとラリー・ページによって誕生しました。 二人は1995年に最初に出会ったとのことですが、28ページには、 「二人の足跡や考えの一端を知りたいと、グーグル発足当時、ラリー・ページの指導教官だったテリー・ウィノグラード教授を訪ねることにした。」とありました。 1989年に、私たち(当時、ヒューマンインタフェースのR&D活動を進めていた複数の企業の仲間たち)は、スタンドフォード大学に、ウィノグラードさんを訪ね、わくわくするような議論をして頂いたことが、走馬灯のように想いだされてきました。 当時、ウィノグラードさんは、「Understanding Computers and Cognition: A New Foundation for Design」という著書で、私たちにわくわくするような衝撃を与えて頂いていました。 その序文には、 「どんな技術でも、人間の本質や活動についての暗黙の理解という「背景」から生まれてくる。 一方、技術を使うことによって、我々の行動、ひいては存在そのものに根本的な変革がもたらされる。 道具(ツール)をデザインするとは、自分の存在のあり方をデザインすることだ、という点に思い至ると、デザインについての根源的な問いに出会うことになる。 これを真正面から受け止めて初めて、我々はコンピュータ技術を理解する新しい背景を築くことができる。 この背景こそが、コンピュータ・システムの設計と利用に重要な進歩をもたらしてくれる。」 とあります。 お逢いしたときの議論では、当時の技術動向の議論や、この本の哲学的背景についての先生の「思い」について、再確認させて頂いたりしました。 終わり際に、私は、ウィノグラードさんに、もう一度、先生の「思い」について、お聞きしました。 そこで、「これからは、従来の図書館のように情報を集め、利用する形態が大きく変わってくることが予想されるが、今の図書館でもそうであるが、情報の仲立ち・案内をする人の役割が、とても重要になってくる。それは、・・・・・・・」と、静かに、深く諭すように話して頂いた。 そのときにも、オリジンにふれたふるえを感じたのを、憶えていますが、このたび、改めて、そのオリジンを再確認することができ、本を読みながら、うれしさがこみ上げてきました。 ところで、よーく想いだして、「表層の皮」から深層を流れるオリジンをみつめてみると、今のGoogleは、上記のオリジンの「・・・・・・・」の中のひとつの「・」に焦点をあてているに過ぎないような気がしてきました。 小さな気づきかもしれませんが。 もう一度、これまでの「オリジンにふれる体験流」を、再構築してみたいと思います。 菊、初めての体験、芽を摘む、体験流2007-07-09 ![]() 教えられ、見よう見まねで植えた菊が、庭の畑に見事に育ってきました。 初めての体験(Experience)なので、とてもわくわくします。 菊は、年中需要がありますが、特に7月の新盆と、8月の旧盆には多くの需要が見込まれます。 そのために、それらの需要に合わせて、苗がうえられています。 畑を見回してみますと、一列ごとに菊の背の高さが違っています。 この景色の底流には、このようなマーケット動向が埋め込まれているのですね。 育ってくると、いくつかの花の芽がでてきます。 みんな、そのままにしておきたいのですが、花を大きくするために、小さな花の芽は摘み取ります。 茎の下の方の葉も摘み取ります。 これらのことも、みんな、菊農家の方の体験流から、教えて頂きました。 私を、それを再体験し、また小さな気づきに、出逢っています。 このあたりは、花のさくまち、と言われるように、いろんなきれいな花の栽培が盛んです。 日々の生活の中で、遺伝子の話までなさっている農家の方々の体験流は、情報の世界のものにとっても、いつも考えさせられるオリジンになっています。 ネギ、草取りと土寄せ、体験流2007-07-09 ![]() 病院祭で100円で買った、ほんとに細かったネギの苗。 畑に畝をつくり、その谷間に少し斜めになるように1本1本静かに立てかけ、毛細のような根の部分のところに、手でちょっとだけ土を振りかけておいていたものです。 しばらくたってから、周りの草を抜きながら、ちょっとづつ土寄せをしてきました。 今では、畝の谷間と山の部分が逆転し、ネギを立てかけておいた谷間の部分の方が盛り上がってきました。 このやり方は、みんな近所の農家の方々から教えて頂いたものです。 最初は日の当たらない谷間の部分のオリジンから、周りの環境の草取りをしながら、少しづつ土寄せをしていく。 長い間の、周りの方々の体験流の知恵を、再体験しています。 ジャガイモ、表層の皮、体験流2007-07-09 ![]() このオリジンは、種イモではなくて、料理のときに切り残されていた皮の部分です。 食品庫においてあった表層の皮のところから芽がでてきたので、それを畑に植えたものです。 雨と太陽の恵みをうけて、こんなにも青々としてきました。 私にとって、小さな「表層の皮」としか見えてないものの中には、どんなオリジン、体験流が隠されているのかなー? クリンソウ、言葉とイメージと分類、体験流2007-07-08 ![]() 調べてみると、サクラソウ科で、山地の湿地に生えている。 名は花が多くの段に輪生するので九輪草、とありました。 カタカナでみると、クリーン(clean)な感じからきているのかなという気もしましたが、漢字でみると、形からみるとそうだったんだー、ということに気がつきました。 情報や概念にかかわる用語にも、カタカナ、漢字、それに英語やラテン語など、いろいろありますが、翻訳されたとたんにオリジンの意味は失われて、違ったものになっているような気がすることが、しばしばあります。 言葉とイメージと分類(どうやってカテゴライズするか、どのようなインデックスをつけるか)、見ることによる体験流、いろいろと感じさせてくれます。 動機、目的論的構図、経験構造2007-07-04 「体験流」に関連すると思われる、いくつかの参考フレーズを、新幹線の中からモブログします; 動機づけとは、「偶然的事実を必然性に転化する構造」だそうです。 一般に、因果論が、現在の秩序・状態・構造などを、過去の秩序・状態・構造などによって説明するのに対して、目的論は、未来によって現在を説明する。 目的論的構図においては、現在は将来に依存し、部分は全体に依存する。 目的論的構造は、相互主観性において支配的であるばかりではなく、単独の自我の活動も目的論的構造によって支配されている。 現象学的経験構造は、内部に自己保存機構をもつ自己調整システムである。 三分一湧水、体験流2007-07-03 ![]() 左の写真は、この仕組みを流れの上流から写したものです。 四角い池のようなところの手前に、逆三角形の小さな石が置かれています。 まさに、これがこの工夫の「コア技術」、「キーストーン」のようです。 下方の、三つの流れにうまく分かち合えるようになっています。 情報通信技術のあり方やそれの利活用法なども想起させてくれます。 また、これらの水の流れは、わたしには、何だか様々な「体験流」のありようのようにも思えてきました。 しかも、「未来から過去への流れ」のような気もしてきました。 源泉・オリジン2007-07-03 ![]() 湧き水の源は、豊かな緑に囲まれた、少し薄暗い感じのところにあります。 言われなければ、整地されて説明されなければ、気づかないようなものです。 とっても小さな源泉です。 これがこれからの流れのオリジンです。 この湧き水の源泉は、現在の情報通信技術の源泉となっているオリジンの方々からお伺いしたお話や、自分の周りで体験した様々なオリジンを想起させてくれました。 でも、とても小さな源泉ですが、この背景には、雄大な八ヶ岳に何年にも前にわたる水の営みがかもし出した叡智があると思うと、うれしくなりますね。 この小さな湧き水を眺めていると、情報の源泉、オリジン、その流れ、などなど、思いはどんどん広がってきます。 |
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